昨日車で仕事へ向かう途中、後ろからの気配を感じ、バックミラー越しに見てみると
前任校のM先生が笑顔で手を振っているではないですか!
私と彼は10年前に同期として一緒に赴任したのですが、私は当時留学から帰って間もない31歳、彼は真っ新な新卒22歳でかわいい弟のような存在でした。赴任してすぐに私は高校1年生、彼は中学1年生の担任となり、そのまま順当に持ち上がっていき、彼と同じ学年で仕事をするようになったのは4年目のこと
私は2周目の高1、彼は中1から持ち上がった一貫コースではじめての高校担任
当時、私は学年の進路行事を統括して学年主任を補佐する立場にあり、平日の補習や長期休暇の講習会や勉強合宿などの企画、また、模試の分析やコースやクラス編成などあらゆる行事に携わっており、ハードではありましたが遣り甲斐のある3年間を送りました。
行事を企画をすること自体はもともと好きでしたが、15クラスの先生たちの考えをまとめて調整したり、先生たちに仕事を振ったりすることには慣れておらず、今振り返れば、随分強引なことも多かったと思います。特に、M先生は学年団でいちばん若手の新人だったために、自然と多くの仕事が振られていましたので、彼にとっては大変な3年間だった思います。
進路行事の企画でいつも難航したのが、勉強合宿の引率教員の確保でした。夏休みの5日間、名古屋から遠く離れた避暑地の宿舎に缶詰めで朝早くから夜遅くまで勉強詰めのこの行事は、生徒も大変でしたが先生たちにとっても負担が大きく、引率できる先生を見つけるのは容易ではありませんでした。M先生は忙しい部活動の顧問で、部活の合宿や大会の引率も多い先生でした。それでも、いつも笑顔で引き受けてくれていました。
3年が終わり、お互い違う学年の担任になったある日、彼と何気ない会話をしている中で、
「勉強合宿大変だったのに、よくいつも来てくれたね」
と言うと、M先生は
「いや、それは原田先生だったからですよ」
この時の彼のことばは今でも鮮明に覚えています
無茶ぶりの仕事をたくさん振ってしまった彼がそんな風に思っていたとは、まったく予想もしなかったので、この言葉は余計心に染みていきました。
きのう偶然彼の顔を見て、嬉しかったのと同時に、私は後ろめたい気持ちでいっぱいになりました。
教員は人を育てる仕事をしています
たくさんの先生からいろんなことを学び生徒たちが成長していくように、
先生も、ベテランの先生たちから授業のこと、担任のこと、部活のこと、たくさんのことを学んで成長していきます
教員生活15年を経た私は、M先生はじめ、若い先生たちにもっと伝えられることがあったのではないか。
彼らが悩んだときに、助言をしたり手を貸したり励ます立場にあったのではないか。自分がそうしてもらったように…
「原田先生だったから」と言ってくれたM先生や私を信頼してくれた先生たちを残して、学校を去るという選択をしたことに対して、今更ながら自責の念に駆られたのです
笑顔いっぱいでミラー越しに手を振ってくれた彼はいまどうしているだろう
いい先生になって充実した毎日を送ってくれていたら嬉しいなあ…
今は同僚も後輩もいないクレイン英学校ですが、いつか一緒に仕事をする仲間ができて、私が経験し学んできたことを伝えられる日が来るように、今は小さな一歩ずつですが前進していきます
Comentários