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あれから10年、生きることと死ぬということ

あれから10年も経ったのに、あの瞬間のことは本当に鮮明に覚えています。

2011年3月11日、当時勤めていた学校の球技大会。学年末考査が終わり、開放感たっぷりの待ちに待った学校行事。

生徒に混じってプレーしていた私は、学年別バレーボール大会の決勝戦、優勝に手をかけたローテーションでサーブする番が回ってきた。

まさにサーブを打とうとした瞬間、ユラユラと目眩を覚えた。「俺ももう年かなあ…」と一瞬感じたが、そのままプレーは続き私たちのチームは見事優勝を手にした。

喜び冷めやらず戻ってきた職員室は騒然としていた

「すごい地震だったよ!感じなかったの?」

「グランドの支柱が揺れてたんだけど」

職員室に戻ってきた先生たちの反応は様々だった

教頭席付近に設置されていたテレビに映し出されたのはヘリコプターから映された波打つ太平洋の映像

「津波が来ます!津波が来ます!」

この段階では私はまだこれから起ころうとしていることは想像できなかった。ただ画面を唖然と眺めているだけ

そして、信じられない光景が映し出された

堤防を超える波、飲み込まれる車、流される家、逃げ惑う人の姿…

人は信じられない光景を眼前にした時、こうも呆然と立ち尽くすしかないものなのか

それから連日、壮絶な被災地の映像と繰り返される緊急地震速報

寒かったろう、痛かったろう、苦しかったろう、途方にくれたろう…

あの地震と津波で多くの人の命、家族、友人、生活が失われた

あの原発事故で多くの人が故郷を突然失い、そして今も苦しみの中にいる

2011年3月11日、妻のお腹にはふたつの命があった

ふたりともすくすくと育っていた


喜びは2倍のはずなのに、


私たちにはあまりにも受け入れがたい現実があった

それは、ひとりの命はお腹から出てきてほどなく生きられないという事実

日に日に育っていく胎児、嬉しいのに、同時に悲しい


今日夫婦で笑ったかと思ったら、明日は泣いていて

早く生まれて、顔を見たい

でもその日がきて欲しくない…

そんな日々を過ごして5ヶ月

誕生日であり死亡日。

生きることと死ぬことは、こんなにも身近にあるんだ

2011年3月11日、

あの時誰一人として、見送った家族にもう2度と会えないなんて思わなかっただろうし

あの時誰一人として、もうこの家に帰ってくることができないなんて想像もしなかっただろう

では、いまのあなたはどうですか?

今あるあなたは、明日も変わらず元気ですか?

今そばにいる大切なひとは、あさってもあなたの横で微笑んでいますか?

本当はそんな保証はどこにもないと、あの日わかったはず

だから、私たちにできるのは、当たり前のことだけど、

『いまを精一杯生きること』

伝えたい想いがあるなら、それをいま伝えること。

こうしたい、という願いがあるなら、いま行動すること。

今日、自分と大切な人がハッピーでいるためにできることをすること。

シンプルだけど、それが一番大切なこと

2021年3月11日、あれから10年

今もなお癒えぬ傷と、今もなお戻らぬ故郷がある

それでも、春の陽気が美しい桜を咲かせるように

被災地が復興し、被災者の方々が心から笑顔になれる日が来ますように…

そして今日という、当たり前で、そして壊れやすくかけがえのない1日が、素晴らしいものでありますように…

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