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執筆者の写真原田貴之

75年目の夏、クレインから平和を祈って

75年前のこの日、8月6日の朝

今日と同じように暑い夏の朝でした


1945年8月6日午前8時15分

一発の原子爆弾が

広島の日常を、一瞬で地獄に変えました



私が小学生の頃は

今日は「平和登校日」

全校生徒が体育館に集まって

戦争の映画を見る日…


ある意味トラウマのような経験でした


私は父も母も広島出身ではありません

そして私の41年の人生でも

広島で暮らしたのは13年

しかもその前半は物心がつく前のことです


しかし、広島で過ごした間に学んだヒロシマは

私の土台を作っているような気がします。


だから、広島を離れた後も

戦争映画は気になって見てしまう自分がいたり

8月6日の平和記念式典にはテレビ越しに

手を合わせる自分がいます


大学は関西に行くと決めていた広高3年の時、

日本史の先生が言った

「大学で外に出ていくもんもおるじゃろうけど

広島県民として、原爆のことを伝えていくのは義務じゃと思っとる」

という言葉


オーストラリアで暮らしていた時

シェアハウスに同居していたスリランカの留学生と戦争の話になった時

広島であの日何が起こったのかを話すと

「そんなことがあったなんて想像もしてなかった」

と衝撃で浮かべた涙


昨年IVLPで訪れたアメリカワシントンD.C.のスミソニアン博物館にあった

「とどめの一撃」というタイトルが掲げられた

キノコ雲の写真


世界を知れば知るほど、

ひとりの日本人として

そしてひとりの広島出身者として

何を伝えなければならないのかが

明確になってきたように思います


そして、それが

「クレイン」という名前の由来となっています





日本はこれまでのような経済力も失い

少子高齢化、人口減少が進む中で

世界における発言力が弱くなっていくことは、避けられないかもしれません


でも、

世界で唯一の被爆国として

あのような惨劇を二度と起こしてはいけない、

武力で平和を実現することはできない、

と訴えていくことで

世界の平和に寄与することができれば、

素晴らしいことでしょう


2016年5月27日に、アメリカ大統領としてはじめて広島を訪れた

前オバマ大統領のスピーチのことばはこう括られます


「世界はここで完全に変わってしまった

でも広島の子供たちは、平和に日々を暮らしていくことでしょう

なんと価値のあることでしょう…

これこそが私たちが選択できる未来です」



今日もこうして穏やかな一日が送れることに

感謝しながら…






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