アウシュビッツ・ビルケナウ〜記憶と継承の地。わたしの記事
- 原田貴之

- 3月25日
- 読了時間: 3分
アウシュビッツ強制収容所。
初めてその存在を知ったのは中学2年生の時。友人の家でWOWOW放送の映画『シンドラーのリスト』を観た。
小学1年生の時に読んだ『はだしのゲン』と並び、私に非常に大きな衝撃を与え、今の平和活動の原点となっている。
いつか行ってみたい場所として心に残り、それから32年を経て、今日、生徒たちとともにこの場所を訪れることができた。
多くの知識はあったものの、訪問直前まで、この場所に足を踏み入れたときにどんな感情が湧き、何を思うのか、想像することができなかった。
私たちは幸運なことに、唯一の日本人公式ガイドである中谷剛さんに案内していただくことができた。中谷さんは日本人で唯一の公認ガイドであり、多くのメディアでも紹介されている。今回、私たちも事前に依頼を出していたが予約は難しく、半ば諦めていた。
文字情報の少ないアウシュビッツ・ビルケナウ博物館を一つひとつ丁寧に解説していただくとともに、考えさせられる問いかけが数多くあった。
「ユダヤ人が強制収容所に移送される際、許されたのはカバン一つ、30キロまで。皆さんも旅行の時にスーツケースに何を入れるか悩みましたよね。彼らも同じだったのです。」
「食べるものがなくなり、極限の空腹状態になったとき、人はどのような精神状態になると思いますか?」
「囚人が囚人を殴っている様子を描いたこの絵は、生き延びたユダヤ人によるものです。なぜこのような絵を描いたのでしょうか?」
前日の振り返りでは、生徒一人ひとりが自分のストーリーを語り合い、アウシュビッツで殺された膨大な数の人々にも、それぞれの人生と物語があったことを想像して訪問してほしいと伝えていた。
おびただしい数の没収された靴やカバン、刈り取られた毛髪。そして、一度に600人が毒ガスで命を奪われたかまどの中に足を踏み入れたとき、生徒たちは何を感じ、何を考えただろうか。
途中で中谷さんに質問をした。
「この収容所を残すにあたり、広島の原爆ドームや東北の震災遺構のように、賛否の議論はなかったのでしょうか。」
「さまざまな議論はありました。しかし、ここはホロコーストを生き延びたユダヤ人たちが自ら手を挙げ、館長も生存者が務めながら保存してきた場所です。そして現在、復元事業に最も多くの資金を提供しているのは、加害国であるドイツ政府です。」
ドイツでは高校2年生の1年間をかけて、第一次世界大戦からホロコーストまでの歴史を徹底的に学ぶという。この日も多くの高校生がここを訪れていた。
振り返りの中で、生徒一人ひとりの言葉には、人が人でなくなる想像を絶する状況を思い描き、自らの体験と重ね合わせた深い考察と想いが込められていた。
広島でも、ベルリンのユダヤ博物館でも伝えられていたメッセージ。
「決して忘れてはいけない。」
そして、ガイドの最後に、中谷さんが語った言葉。
「君たちのようにモチベーションが高く、すでに行動を起こしている若い人たちが未来をつくっていきます。世界が君たちのような人たちばかりだったら、きっと戦争は起こりません。」
今日、アウシュビッツでの体験を生徒たちとともに訪問し感じたことは、『記憶の継承と未来への使命感』
人類史上最大の過ちの記憶を継承し続けること、そして身近なところから行動を起こすピースメーカーを一人でも多く育てていくこと。
それこそが、私に残された時間で果たすべき使命だと決意しました。





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