ピースアカデミー8日目:ワルシャワ午前
- 原田貴之

- 3月28日
- 読了時間: 2分
更新日:1 日前
今日の午前の前半はワルシャワ旧市街の観光見学です。
一般的にワルシャワはヴィスワ川の両岸に広がっているとされていますが、現地の人的には西岸がワルシャワで、東岸はプラガという別の街だそうです。ワルシャワにはソ連からのプレゼントの宮殿があり、もうすぐ建て替える予定だそうです。

街を歩いていると、近づくとショパンの曲が流れるベンチがありました!実はショパンはポーランド人で、ショパンにゆかりのある場所にこのベンチがあるそうです。
後半はワルシャワ蜂起博物館です。

ワルシャワ蜂起博物館には二次大戦勃発から分割占領後までの流れとワルシャワ蜂起に関する展示がありました。

1939年に第二次世界大戦が勃発したあと、ポーランドの4分の1はドイツ直轄領に、また4分の1はドイツ領ポーランド総督府に、残りの2分の1はソ連領に分割されました。
食糧の配給が滞り、9万人のポーランド人やユダヤ人が餓死したそうです。
また、一人のドイツ兵が殺されると50人のポーランド人が殺されるルールも存在していたそうです。
そして展示は1944年のワルシャワ蜂起に移りました。蜂起の中心となったのはポーランド国内軍で、ロゴはPと錨を組み合わせたものです。
蜂起した理由は、戦後ソ連傘下の共産主義にならないために自力で首都を解放して主権を主張するためだそうです。
彼らはワルシャワの地下水道を利用して戦いました。狭くて通りづらかったですが、去年のベトナムで行ったクチトンネルよりマシだと思いました。ちなみに地下水道を2キロ歩くのに4時間かかり、さらに道に迷いやすいそうです。

最初は数週間で終わると思われていましたが、意外にも63日間も抵抗し続けたそうです。それを記念して博物館の中に設置された壁が一分間に63回のペースで鼓動していました。

蜂起には女性や少年兵も参加し、鎮圧には罪人で結成されたナチス親衛隊傘下の部隊が使われたそうです。
ワルシャワ蜂起の後のヒトラーの命令による爆撃で、街は破壊され、ゲットーは特に粉々にされました。終戦後、街は生き残ったポーランド国民によってヒビ一本まで再現されたそうです。
M.M.






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